随筆練習帳

随筆(エッセイ)の練習帳。原稿用紙6~7枚分を目指して

人を本気で愛する

 自分の身体と精神の健康・安定を保つことは、常に私に求められていることの一つである。環境が変わっても、時間が無くなっても、責任が重くなっても、生きるための気力と体力を保持すること、そのための知恵と行動を身に着けることは、私の生活の中にある基本的なテーマだ。

 

 私の場合、初夏・梅雨の時期に掛けて、それが難しさを増す。3年前、一昨年はそのタイミングをうまく乗り越えられないで心を病んでしまった。去年はどうにかやり過ごすことができ、その後新たなテーマがやってきた。去年の場合はトラウマの克服とか、集団の中で楽しみ楽しんでもらう経験をすることとかだったと思っている。

 

 今年も夏本番になり、学校の課題とバイトに振り回されつつも何とか峠を乗り越えた私に、新たなテーマが課されている。

 

 人を本気で愛する権利、人を本気で愛する義務が与えられている。

 

 人を愛しようとするのはなんて難しいことなのだろう。なんて怖いことなのだろう。きっとこんなのは初めて経験することで、人を本気で愛したらどうなってしまうのか、見当もつかないから余計に怖いのだろう。

 

 どうしたらチャットというひどく使い勝手の悪いツールで、なるべく誤解のないように相手に物事を伝えられるのだろう。業務連絡には便利だけれど、自分の気持ちを慎重に伝えたいときには全く使えない。電話か文通がいい。

 

 自己防衛に回って相手に接触できずにいたら、いつまで経っても相手を愛するどころか、相手にしてあげられることもないままだ。相手から拒絶されたらどうしよう、と思う。きっとはっきり拒絶されてから考えればいいのだろう。相手に気味悪がられたらどうしよう、と思う。1か月返信が来なくなってから考えればいいのだろう。大体現時点で、メッセージのやり取りが一度始まれば5分、遅くても10分以内に返信が来ているのだから、実はそれほど心配しなくてもいい気がする。

 

 「あなたの話が面白い」「あなたと一緒にいると楽しい」「あなたの作品が好き」「あなたのやってることはすごい」「あなたに元気でいてほしい」「あなたに楽しんでほしい」「あなたに幸せでいてほしい」なんて、伝えたいことも、これからも伝え続けていきたいこともたくさんある。

 

 今までもそうだったけれど、こちらが緊張しながら伝えたことを、相手は案外好意的に受け取ってくれるのだ。私には彼を愛する権利がちゃんとあるのだから。

 

 そして彼の厚意や笑顔を、私としても真摯に受け取るべきなのだろう。「楽しかった」とか、「また誘って」なんて言われなくても、彼が楽しんでいたことなんか、分かり切っているじゃないか!!

 

 写真の授業で先生が言っていた、「カメラマン側がだんまりしていると、被写体側も不安になってしまう」と。私が不安になったら、相手もまた不安になってしまう。私が自信をもって笑っていれば、相手も笑顔でいてくれるのだろうか。

 

 今の時点で私と彼は友人なのだから、友人がいつから夏休みに入るのか尋ねることのどこに不自然な要素があろうか。かえって堂々としていた方が良いのだろう。

 

 彼のことを愛するには私はまだ彼のことを知らなすぎるし、彼にしたって私の愛を受け取るには、まだ私のことを知らなすぎる。私の経験の中に何か有用なことがあれば使ってほしいし、面白いと思ったことがあれば笑ってほしい。あるいは、彼が私にくれたものが、巡り巡って彼に還っていくように、何かできることをやりたい。私にはきっと、彼がよりよく生きられるよう働きかける使命がある気がしてならないのだ。