随筆練習帳

随筆(エッセイ)の練習帳。原稿用紙6~7枚分を目指して

「頭のいい人」とテスト

今週のお題「テスト」

 

 テストは昔から真面目に受けていた。小学生の頃はもちろんテスト勉強なんかしていなかったが、宿題のドリルがテスト範囲になっていたりするので、宿題を真面目にやっていた私は100点か95点ばかり取っていた。小学生のテストなんてみんなそこまで悪い点数は取らないだろうに、その時点でなぜか同級生には「頭のいい人」扱いされていた。この「頭のいい人」のレッテルは、以後長く私を苦しめる。

 

 中学生になって初めて受けた中間テストは、数学で100点を取り、英・国・社・理は96点、合計484点で学年2位だった。同率2位であった小学校からの友人も数学で100点を取っていた。彼女は後に県トップの県立女子高に入学、この時学年1位であった男子生徒は県トップの県立男子高に推薦入学した。私は地元の県立女子高に入学した。大して勉強にも、トップ校に行くことにも興味がなかったのだ。

 

 しかし、入学後初の定期テストで学年2位なぞになってしまった私は、不覚にも中学卒業まで上位争いに巻き込まれてしまうことになる。普段は課題で出された分の勉強しかしない私だが、真面目で従順な性格ゆえに、テスト勉強はまじめにやってしまう。その分成績は良くなってしまうので、さらに上位争いに巻き込まれる。厄介だ。

 

 テストの結果が返却されれば、同級生はまず、私ら上位常連衆の順位を聞いてきた。定期テストの順位はちょっとしたゴシップのようだった。1度学年1位になってしばらく経てば、担任までもが「1位に返り咲いたりしてみたくない?」などと言ってきた。もちろん1点差で同級生に負けたり、成績が下がったりすれば悔しがりもしたが、ほっといてくれよ、と中学生ながらに思っていた。

 

 成績が良いことは何も悪いことではなく、むしろ歓迎すべきことなのは当たり前だ。それでも、そこまで勉強の意欲もないのに、「頭のいい人」のレッテルに取りつかれ、トップ内の競争の面倒さや外野のうるささに巻き込まれて疲弊していた私は、最初からこんなに真面目に勉強しなければ、ここまで面倒臭くならなかったろうに、などと考えたものだ。贅沢な悩みだが、当時は本気で悩んでいた。

 

 中学を卒業し、高校に入学した私は、「頭のいい人」のレッテルの呪いをやっと解くことができると、内心ひそかに喜んでいた。しかし、入学直後の課題テスト、ふたを開けてみれば、中学生のときと大して学年順位が変わらない。これでは「頭のいい人」の呪いが解けないではないか。中学のときより成績の平均が上がっているはずなのに。学年の人数だって倍以上になっているのに。何故。

 

 そうは言うものの高校1年の1学期期末試験。勉強不足だった数学で平均点を切ってしまった私は、ものすごく落ち込むことになる。悪い点数を取ることに対する免疫がついてないのである。そうなると、いくら「頭のいい人」から抜け出そうとしても、無理な話だ。もう私には、勉強するしか道が残されていなかった。

 

 当たり前のことだが、ちゃんと勉強するようになったら、ちゃんと成績も順位も伸びてしまった。順位だけ見れば中学時代よりも上だ。中学ではそんなことなかったのに、模試を含めて学年1位をがんがん取るようになった。そして一番良かったのは、私が学年何位だろうと、周囲がしつこく順位を聞いてくることがなくなった。担任だって、試験の成績を渡すときは黙って渡していた。テストのたびに「頭がいい人」かどうか、確認されることがなくなった。

 もちろん「頭がいい人」というイメージは高校3年間も付いて回ったが、どうせ勉強しなければならない進学校という環境の中でそう思われるのは、むしろ誇らしくもあった。高校時代はテストの成績が良かったおかげで、勉強友達から始まってかなり親しくなった友人もいる。そのおかげで今勉強嫌いにならずに済んでいる。環境って大切だと思う。

 

 以上、テストとレッテル貼りの思い出の話。今月は乙4の試験があるので、テスト勉強にラストスパートをかけているところである。